泡盛に関するミニ知識
11月1日は泡盛の日である。 いいつき、いいひ、泡盛の日というが、晩秋の初日が泡盛の日になったのは
深い意味はなく、沖縄の愛好者の要望でこの日になったようである。 また、泡盛の飲み方に特に流儀は
ない。 もともとの呑み方は、からからという容器に入れた泡盛をぐい呑みに注いで、ストレートでちびり
ちびりと、泡盛の風味や美味さ、まろやさかを味わいながら呑むという呑み方だったと思う
(右写真ーからから)
本土復帰の作業で沖縄を往復した小生だが、当時の沖縄は米国の支配だったこともあり、ウイスキーやジン
が大変安かった。 当時の日本ではジョニウオカーの黒ラベルなどは大変高く、市販で1万5千円以上、
ジョニウオカーの赤ラベルでも3千円以上であった。 一流クラブではジョニ赤をサントリーのオールドと
同レベルの値段の設定とし、ボトルキープで1万円以上とっていた。 そんなこともあったのか、小生が
出張すると、沖縄の飲食店で呑まれていたのがウイスキーである。 出張帰りには免税店でウイスキーを買う
と、国内の三分の一の値段で買えたので、会社の忘年会に持参すると大変喜ばれた。
旅行者は免税の
ウイスキーを制限一杯買い、泡盛は呑んだことはないが、珍しいので1本だけ買って帰るかという程度だった。
空港で売られていた泡盛は素焼きの焼き物の壺屋焼の壺に入れたものだったので、衝撃に弱く、空港で割って
しまう人をよく見かけた (右写真)
そのあたりは泡盛の臭いが漂っているので、すぐに分かった。
10年後に訪れた沖縄では、泡盛の呑み方がウイスキーと同じ呑み方に変わり、水割かオンザロックが
主流になっていた。 また、販売する瓶は色付きガラスのしゃれたものも登場し、ラベルも美女のイラスト
など、サントリーの洋酒をまねたものが増えていた。 バーに入ると、泡盛をベースにしたカクテルや
オンザロックが出てくる。 十年で様変わりの感想を得たが、今やそれが国内全域に広がり、焼酎の一種類
としてソーダー割や梅割りなどでも呑まれているのではないだろうか?
小生が始めて訪れたころは泡盛は、沖縄全土で呑まれるメーカーは僅かで、ほとんどがその町周辺や島内
で消費されていた。 本土復帰後、沖縄海洋博が行われるころから、一部のメーカーが首都圏を中心に
宣伝を開始して、今日の姿の先鞭をつけた。
泡盛の製造法は全麹仕込み法であると述べたが、大量生産の会社はその方法を忠実に守り造っているのかは
疑問である。 また、材料もタイ米以外を使うところも出てきたし、米100%でもないのかもしれない。
昔のままの泡盛を呑みのなら、首里周辺の古酒を中心とする酒蔵や地方の小さな酒蔵を訪れた方がよい
だろう。
沖縄で旨い酒というのなら、与那國島の花酒である。 この酒は大変強い。 強い酒といえば、アブサンや
テキーラ、ラム酒、ウオッカ、ジンなどがあげられる。 テキーラ、ラム酒、ジンはくせがあるので、
ストレートでは量は飲めないし、カクテルが一般的である。 ウオッカは癖はないが、飲みすぎると腰が
立たなくなる。 小生の好きな酒にデンマークやノールウエーで飲まれるアクワビットという酒がある。
命の水という意味の酒だが、アルコールは大変高く、北欧の寒い野外に置いていても凍ることはない。
透明な水のようだが、すこしトロリとした感触の酒だが、口に含むと大変うまく、つい杯が進む酒である。
花酒はアクワビットと同じように小生には思えた。 アルコールが60%以上の酒だが、ストレートで
ちびりちびり飲むのがよい。
泡盛では、八重山や竹富島のものがうまいとおもう。 これは、伝統の
作り方を忠実に守っていることによるものか、水のよいことによるものかは分からないが?! (右写真ー抱瓶)
小生が晩酌によくのむのは久米島の久米仙、石垣島の謂福や八重泉、本島では瑞泉、瑞穂、南風などである
。 これらは沖縄に行かなくても手にはいる。 花酒では与那國とどなんである。 与那國は60度と72度
の酒がある。 また、どなんには、花酒とはいえないが、43度、30度、25度の泡盛も販売している。
今度沖縄を訪問した時は無名の酒造所の泡盛を飲み、新たな好みの酒を発掘したいと思っている。
泡盛は日本最古の蒸留酒である。 酒税法では、米、いも、麦焼酎と同じ乙類焼酎
(本格焼酎)に分類される。 最近は沖縄県以外でも生産されるようになったので、平成7年の法律
に基づく国税庁告示により、沖縄県産に限ってのみ、琉球泡盛や本格泡盛の表示が認められることになった。
泡盛と米焼酎や日本酒は米を原料とするが、まったく違うものである。 まず、材料の米がタイ米である
。 また、仕込みに使用する麹菌が違う。
日本酒では黄麹や白麹などが使用されるが、泡盛は黒麹菌を使用する。
九州地方で本格焼酎として生産されるものに黒麹が使用されるものもあるが、一般的には白麹が多く、
黄麹菌も使われる。 泡盛になぜ黒麹が使用されるかというと、湿度が多く気温の高い沖縄では、白麹や
黄麹菌は暑さや熱に弱く、モロミが腐敗しやすかったからである。 黒麹菌は発酵中にクエン酸を大量に
発生することから、モロミの腐敗防止になるのである。
次に、仕込みの方法が違う。 本格焼酎は二回仕込み法なのに対して、泡盛は一回仕込みの全麹仕込み
法である。 焼酎は米または麦で作った麹に水と酵母を
混ぜて、酒母を作り、これに主原料である米、甘藷、麦、ソバなどを蒸したものと水を加えて、モロミに
している。 沖縄ではこの方法では腐敗してしまうので、水以外の原料に麹だけを使った仕込みを全麹
仕込みというが、この方法をとる。
蒸した米に
黒麹菌を種付けすると、腐敗しずらい酸味の強い麹が約三日でできる。 この麹と水を容器に入れて
仕込むと、十三日でモロミが出来る。
こうして出来たモロミを単式蒸留器で蒸留させると、二〜三時間でアルコール度が45%に近い泡盛の原酒
ができあがる。 できた原酒は素焼きの甕にいれ、イトバショウの葉でくるんだデイゴの木の栓で密封し、
一定期間が熟成させる。 熟成には最低三ヶ月かかるので、米から泡盛になるには最低三月半はかかるので
ある。
原酒の貯蔵期間が長いと、淡黄色に色づいて味がまろやかになり、芭蕉の香りが移った素晴らしい古酒になる。
沖縄の泡盛は古酒をクースと呼ぶ。 クースと呼べるのは、全量を三年以上貯蔵したもの、又は古酒に
新たな原酒を注ぎたしたもの(これを仕次ぎというが、)で、三年以上貯蔵した泡盛が仕次ぎ後の泡盛総量
の50%を越えるものと規定されている。 つまり、古酒(クース)と呼べるのは、三年以上貯蔵した
泡盛が50%を越えるものである。
沖縄が日本に返還になった当時、復帰に伴う仕事で沖縄を往復したが、
地元の人の話では、泡盛を飲んだ後、新酒を飲んだだけ、甕に入れておく、と説明してくれたが、これは
古酒の作り方の話だったのだと、後日分かった。
この仕次ぎの方法だが、まず甕を三つ用意し、一つ目に一番古い泡盛(親酒)を、二番目に次に古い泡盛を、
三つ目に新酒を入れる。 親酒を汲み出して目減りしたら、その分量だけ二つ目の甕から補充し、二つ目の
甕には三つ目の甕から新しい泡盛を補充するという具合である。 こうして、親酒は古酒の風味を損なわず
に十年、二十年、三十年以上にわたり、甕の中で長期熟成されてきたのである。
泡盛のルーツは、東アジア、タイ国の蒸留酒だといわれる。 琉球王朝が支配するようになった14世紀
の後半になると、明の国との交易が盛んになり、多くの中国商人が来琉し、東アジアからもシャム(現在
のタイ)商人などが訪れるようになった。 琉球王朝の首里城では、王朝の行事や中国から訪れた冊封使
の歓待に供するため、城内の蔵に南蛮酒を保管していたというが、この時代に、酒の作り方、蒸留技術
を学んだといわれる。 蒸留酒の起源は紀元前三千年前にメソポタミアで蒸留器が発明されたときにさかのぼると
いわれるが、その後、西周りでヨーロッパに伝わり、ウイスキーやブランデーになった。 東周りでは、
東南アジアで南蛮酒となり、中国では焼酒となり、メコン川から南下して、タイでラオロン酒となった。
泡盛の誕生時期ははっきりしないが、中国の冊封使、陳侃の書いた使琉球録に、 「 琉球にはシャム
からきた焼酎(蒸留酒)があり、その造り方は中国の焼酎と同じである。 」 と記されているので、
タイから伝播したラオロン酒が原型となり、独自の蒸留方法で泡盛が誕生したという説が有力であろう。
琉球王朝の尚寧王の時代には、泡盛の醸造が王朝の管理下に置かれるようになり、首里周辺の三個と
呼ばれた鳥堀、赤田、崎山地区の焼酎職の四十の家のみが製造を許された。 他の者が製造した場合は、
死罪または流罰に処したとあるが、琉球王朝にとっては、泡盛は貴重な国家財源になっていた訳である。
明治時代になると、免許制度になり、首里城周辺に新規の酒蔵が増えた。 ところが、第二次大戦で
大変なことが起きた。 昭和二十年の米軍のよる沖縄上陸作戦で、本島全体が甚大な被害を被り、
首里城周辺には日本軍の司令部があったので、艦隊による艦砲射撃と空からの絨毯爆撃を受けて、
町は焼け野原になった。 創業百年を越える泡盛の老舗の蔵が焼け落ち、その中に貯蔵、保管されて
きた古酒甕が灰塵に帰してしまったのである。 これがないと、泡盛は製造できない。 五百年に
及ぶ泡盛の歴史が戦争により断ち切られたのである。
戦後、泡盛をなんとか復活させたいと努力する人物が現れた。 捕虜収容所に収容されていた佐久
本氏で、土地勘を頼りに自宅跡を探しだしたが、家も酒蔵も跡かたもなく、濠に埋めて置いた古酒
を入れた甕もこっぱみじんのありさまだった。 このままでは泡盛の復活はできないと思ったとき、
佐久本氏の目にうつったのは、一枚の茣蓙(ござ)だった。 泡盛の麹を作る時、稲の藁で編んだ
ニクブクという茣蓙を敷いて、その上に蒸し米を広げ、黒麹をまぶして麹を作る習慣があった。
佐久本氏は、灰土の中からかろうじて燃え損ねた一枚のニクブクを取り出し、そこについていた
極めて僅かな黒麹菌を数日かけて培養し、仕込みの黒麹菌の再生に成功してのである。 佐久本氏
の執念と灰塵の中で生き残った黒麹菌の奇跡が、敗戦直後の泡盛の復活につながったのである。
◎伊平屋酒造所
沖縄最北端の伊平屋島で唯一の泡盛酒造所が伊平屋酒造である。 照島や芭蕉布などの銘柄がある。
◎伊是名酒造所
本部半島沖の青い海に浮かぶ小島の伊是名島にある酒造所は、こんこんと湧き出る天然水で泡盛を
製造する。 常磐や伊是名島などの銘柄がある。
◎田嘉里酒造所
本島北部、国東半島の麓にある酒造所だが、生産量が少ないため、地元でほとんど消費されている
ようである。 くいな、やんばるくいな、などの銘柄がある。
◎今帰仁酒造所
本島北部、本部半島の北東部にある今帰仁村にある酒造所で、昔ながらの伝統の味を大切にした
飲み口はシンプルな中にも深いコクがある。 千年の響きや王朝の邦などの銘柄がある。
◎津嘉山酒造所
昭和2年に本島北部で最初の酒造免許を取得した酒造所で、名護市内にありながら沖縄独特の赤瓦
屋根である。 主な銘柄の国華は、やんばる(国頭)の華という意で、水処・名護の名水を丁寧に
仕込んだ手作りの味が特徴である。
◎ヘリオス酒造
名護市にあるメーカーで、ウイスキーや地ビールなど多種の酒を製造する酒造メーカーである。
主な銘柄には、くら、琉球美人がある。
◎崎山酒造所
明治38年に首里赤田で創業した首里三箇の流れをくむ酒造所で、戦後、官営の酒造所として
金武町へ移転した。 主な銘柄には、松藤、舞天がある。
◎比嘉酒造
東シナ海に面して残波岬のある読谷村の酒造所で、宣伝に力を入れているので、全国的に知られて
いるのが泡盛 残波である。 芳醇な香りと深い味わいが特色である。
◎新里酒造
新里酒造は、弘化3年(1846)に首里赤田で創業で、現存する酒造所の中で一番古いといわれる。 琉球
王朝の泡盛職をしていた伝統と時代に合った味わいを生み出すことに力を入れていて、アロマドライ
などのライト感覚の泡盛を作りだしたといわれる。 琉球、かりゆし、黄金の日々などの銘柄がある。
◎米島酒造所
那覇の西100kmに浮かぶ久米島にある酒造所である。 久米島は美味なる泡盛の産地として有名
で、米島酒造所は白瀬走川の良質な水を使い、手作りならではの味を生み出している。 主な銘柄
は、久米島である。
◎久米島の久米仙
沖縄を代表する泡盛メーカーの一つで、那覇市内にある久米仙とは異なる。 本土復帰頃から首都圏を
中心に販路を拡大し、全国的に知名度を持つ。 良質な湧水で、麹作りから出荷まで一貫生産の近代的
な生産体制である。 主な銘柄は、久米仙である。
◎石川酒造所
首里三箇で生まれた石川政次郎が創業した酒造所で、沖縄で唯一もろみ甕発酵、甕貯蔵を行っている。
主な銘柄には、うりずん、さわふじがある。
◎咲元酒造
首里にある酒造所で、琉球王朝時代に名字の佐久本をもじって咲元としてという。 古酒を中心に販売
し、古酒10年アルコール度数40%を主力商品としている。 また、年2回は原酒43%のものも
販売するという由緒正しい老舗である。
◎神村酒造
那覇市の中心部にある創業百年の酒造所で、泡盛の貯蔵は甕という常識をくつがえし、樫樽で寝かせて
いる。 そうして誕生したのが、琥珀伝説 暖流である。 甘く芳醇な香りと豊かなコクは甕貯蔵の泡盛
っとは趣を異にした味わいがある。 その他に守礼もある。
◎瑞泉酒造
全国的に知られる瑞泉を製造している酒造所である。 首里城瑞泉門のもとから湧き出る泉から名付け
られた酒造所は首里崎山町にある。
◎瑞穂酒造
首里で創業した瑞穂酒造は琉球王朝時代から150年続く老舗である。 首里にありながら、地下貯蔵庫
で原酒を眠らせてゆったり熟成を待つという。 主な銘柄は、瑞穂と首里天である。
◎沖縄県酒造協同組合
県下の五十近い酒造所でつくられる泡盛を仕入れて、長期貯蔵し、全国に販売している。 主な銘柄は、
海乃邦、南風、琉球泡盛、紺碧である。
◎久米仙酒造
那覇市仲井真にある酒造所で、常に時代をリードするパイオニア的存在である。 昭和52年に卓上グリーン
ボトルとマイルドな味わいと香りで、若者や女性に販路を広げた。 その後も、樫樽貯蔵泡盛 奴樽蔵では
琥珀色の泡盛ブームを、平成6年には内モンゴルで無農薬ジャポニカ米の響天を発売した。
◎比嘉酒造
比嘉酒造は、明治16年に那覇市首里で創業したが、平成3年創業100周年を記念して、糸満市に工場や
泡盛まさひろギャラリーを開設し、泡盛をつくる道具類や全泡盛メーカーの年代ものの名酒コレクションを
展示している。 島唄やまさひろ、海人(うみんちゅ)などの銘柄がある。
◎菊之露酒造
菊之露酒造宮古島の北西部にある平良市にあり、風味を出すため、原料や製法にこだわっていて、無色
透明の一雫は本島でも多くのフアンがいる。 主な銘柄は、菊之露、親方の酒である。
◎多良川
宮古島の城辺町の上比屋根森の麓から湧きだす伏流水を使用して泡盛を作っている。 主な銘柄は、
多良川、ちゅらら、琉球王朝である。
◎高嶺酒造所
石垣島の川平にある酒造所で、昔ながらの泡盛を大切にし、今でも直火式地釜で蒸留する方法で製造して
いる。 主な銘柄は、於茂登(おもと)、かびら、蘭陵の美酒である。
◎池原酒造所
石垣市にある池原酒造所は沖縄伝統の製法、米を麹にし、その米麹と水を原料に全量一度に仕込んで、
地釜で蒸留する、100%天然醸造法で仕上げ、貯蔵も甕を使用している。 白百合と赤馬が主な銘柄
である。
◎八重泉酒造
石垣市にある酒造所であるが、市街地から離れた自然環境のよいところにあり、於茂登岳中腹から湧き出
ナンガーラの水で仕込み、職人の勘とコンピュータとで、厳しい品質管理を行い、併せて、美味追求を
行っている。 主な銘柄は、八重泉、黒真珠、星砂伝説である。
◎玉那覇酒造所
玉那覇酒造所は、玉那覇有和至が首里にあった酒造から独立し、明治末期に石垣島で開業した石垣島では
八重山最古の老舗である。 玉の露や長老などの銘柄がある。
◎謂福酒造
石垣市新川にある酒造所で、八重山地方ではトップクラスのシェアを誇っていたが、ここ十年位で日本全国
に販路を伸ばした。 伝統的製法を重んじる一方、近代設備を導入して、飲みやすくスッキリ仕上げる減圧
式蒸留法を導入したり、低温泡盛を造り上げるなど、新しいものに挑戦している。 謂福がメインであるが、
結や海道などの銘柄がある。
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◎崎元酒造所
日本最西端の与那國島にある酒造所で、この島だけに昔のままの姿で伝承されている花酒を作っている。
花酒の伝統を受けつぐ崎元酒造所の泡盛は与那國と花繊酒という名で売られている。 花酒はアルコール
の高さは高いが、その割に飲みやすい。
◎国泉泡盛
日本最西端の与那國島にある国泉泡盛でつくられるのは、花酒のどなんである。 花酒はウォッカや
テキーラ、ラムなどと同様、アルコール度数が60度あるもので、日本で唯一この島で製造が認めされて
いる。
◎波照間酒造
石垣島から南西に42km離れた日本最南端の波照間島にある酒造所で、断崖絶壁の島の海岸に
打ち付ける波をイメージして泡波と命名した泡盛がある。
この稿は、桃園書房発行の『 からだに効く古酒 』 をベースにして、作成したものです。
貴方は30万+目のゲストです!!