犬山には明治村やモンキーセンターがあるので、名古屋を訪れる友や親せきを案内して、何度も訪れているが、
犬山祭は知らなかった。 犬山祭は、犬山城の東南にある針綱神社の例祭である、という。 調べてみると、祭と城
とが関連があるころがわかった (右写真ー犬山城天守閣)
犬山城は、織田信康が天文六年(1537)、木曽川のヘリ城郭を造営したのが始めといわれる。 慶長十二年(1607)、
家康の九男、徳川義直を藩主
として、尾張藩が誕生すると、元和三年(1617年)、尾張藩附け家老として派遣されたのが成瀬正成で、彼の居城
として、犬山城が与えられた。 正成は、天守に唐破風出窓が増築したが、その優美な姿から白帝城の名がついている
(右写真ー天主閣から見た木曽川)
犬山城の東南の位置にあるのが、針綱神社である。 織田信康がこの地
に狛犬を一対祀ったのが始まりだが、成瀬氏代々の祈願所で、正成の子、正虎によって、犬山祭が行われるようになった、
といわれる。 成瀬家がきたころは、市内名栗町に遷座していたようだが、明治十五年に、現在地に再遷座した、とある (右写真)
針綱神社の祭礼である犬山祭は、4月の第1土・日曜の両日行われる
が、祭当日、各町内より曳き出される山車(やま)は、高さ約八メートル、上層より上山・中山・下山の三層よりなり、重厚な構造
美を見せている。 下山には太鼓をたたく子供と笛を演奏する大人が乗っていた (右写真)
こうした山車(やま)は市内に十三台あるそうで、各町内から神社に向かって曳かれていく。 神社の境内に入ると、
左側に一列に並んだ姿は壮
観。 しばらくすると、町名と山車の名前が紹介され、カラクリ人形の披露が行われた。 愛知県の山車は京都と同じ
ように縦長であることと、からくり人形のしかけがあることが特徴である。 十三台の山車は同じからくりは
ないので、変化に富み、面白かった (右写真ー浦島太郎のしかけ)
狭い山車の中で、糸を引いて人形を操るのだから、大変苦労も多く、練習
も積んできたのだろうと、思った。 奉納からくりの披露が終えた山車は列から離れ、町内に戻るのだが、山車が重いので、
九十度回転する際は大変。 その様子を見ていると、山車の大きな車輪の他、小さな車輪が付いていて、これを利用
して回っていた (右写真)
まさに梃子の応用である。 それでも、多くの力を要するようで、男衆が
力を一つにして、山車を回す風景は祭の見どころの一つである。
本町通を歩いて行くと、母衣を背負い、神社に奉納に行く子供に出逢った。 あどけなさの残る顔に真剣な表情が浮かぶ
(右写真)
夜になると、山車に三百六十五個もの提灯がともされ、満開の桜並木の本町通をぬって練り歩くさまは、豪華絢爛、
まるで錦絵を見るようである。
なお、この祭は、国の無形文化財に指定されている。
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