松尾芭蕉の奥の細道の序文に、 「 (前略) 道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。 ・・・ 」 と、 奥の細道の旅に出かける動機が描かれている。 道祖神とは、江戸時代から明治にかけて、集落に疫病や天災が入り込まないよう、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻 に建てられた、路傍の神のこと。 厄病が他所から入り込むのを防ぐ魔よけ(村の守り神)や旅の無事を祈る交通安全などとして、 信仰された。 長野県、群馬県に特に多く、道祖神と刻まれた石碑の他、男女の姿をきざんだ双体道祖神といわれる石像がある。 本編では、訪れたところで見た石像のみを掲載した。
□ 長 野 県
木曾町(旧木曾福島町)
町の中心部から開田高原に向かう途中にある新開集落にあった三体の道祖神である。
安曇野市 穂 高
安曇野は道祖神の宝庫といわれるが、時間の関係で等々力集落付近しか回れなかった。 男と女が互いに握手をしている「 握手像 」 が多い中で、親子像は珍しい。
中山道・信濃路
本山宿で出逢った道祖神は男神が盃を、女神が酒器を持っている「祝言像」である。 旧望月町の歴史資料館のは楽器を持っている道祖神である。 和田下宿で見つけた道祖神はみみずの形をした珍しいものだった。
中山道・木曽路
木曽路に入ると、信濃路と違い、道祖神は少ない。 代わって、庚申塔や二十三夜供養塔などが多い。
松本市の郊外の 左は浅間温泉の日帰り施設 の前にあった道祖神。 右は甲州街道の蔦木宿から金沢宿を歩いた時、見付けたもの。
□ 山 梨 県
二つとも、甲州街道の教来石宿から台ヶ原宿を歩いた時、 出逢ったものであるが、右のは石祠で覆われた中に祀られていた。
□ 群 馬 県
中山道・上州路
中山道上州路は上野国、現在の群馬県を縦断する道である。 この道には、道祖神と刻まれた石柱はけっこうあったが、祖神像は少なかった。 碓氷峠から坂本宿に入る手前にある諏訪神社には、二体の双体道祖神像が祀られていた。
六合(くに)村
民話の里といわれる六合村には、二十九体の道祖神が点在し、その多くが男女の神様が仲睦まじく抱擁している双体道祖神で、 江戸末期に建立されたものが多くを占めると、村の観光協会の案内にあった。
小生が訪れたのは、2001年11月25日。 草津温泉の帰路、立ち寄ったのだが、その時は道祖神の案内もなく、朽ちていくのに任せるという感じで、探すのに苦労した。 時間の都合で、見つけたのは、上記の八体(最上部の中央と左は同じもの)である。
道祖神の祀られている傍らに、馬頭観音や上記のような石像も祀られていた。 六合村は六つの村が合併して誕生したというが、 江戸時代にはもっと多くの集落に分かれていたと思われ、道祖神がそれぞれの集落の入口で外敵が来るのを守っていたのだろう。
□ 静 岡 県
水窪橋とJR飯田線向市場駅の間にある祠に祀られていた男女が寄り添い、男女合歓の像が彫られた道祖神である。 「 向市場上村中天明三 若拘施主」 と刻まれているので、天明三年(1783)の建立であることが分る。 遠州には道祖神は少ないといわれるので、貴重なものである。
□ 岐 阜 県
美濃にも道祖神があるとされるが、中山道で出逢ったのはこれ一つだけで、 苗木道の道標を兼ねた道祖神だった。
名古屋と恵那を結ぶ下街道を歩いていると、内津峠を越えたところに大きな馬頭観音が祀られていたが、 その脇にひっそりあったのがこの双体道祖神である。
□ 東 京 都
武蔵国に道祖神がもともとあったのか分らない。 五街道を歩いているが、途中に庚申塔はあるが、道祖神はほとんど見なかった。