舎友会の設立から粉砕、再生まで
1.舎友会の設立
(1)設立趣意と概要
昭和16年11月に京都帝国大学寄宿舎総務名で卒寮した舎友へ設立趣意書が発行された。
要旨は、寄宿舎を離れても、互いが連絡を取り合うことができるように舎友会を設立し、云々 とある。
初代会長は 星野貞次(明治43年医卒)
賛同者芳名には44名(明治卒7,大正卒25、昭和卒12)が記されている。
(2)発会式
昭和17年6月13日 樂友会館で開催され、舎友会結成の経過報告があり、会則の紹介、会長の挨拶、山本学生主事の挨拶、
記念撮影があった。 舎友の出席者は21名であった。
参考: 第1条 本会は京都帝国大学学生寄宿舎舎友会と称する
第3条 1.会員名簿及び会報の発行 2.年1回総会の開催 3.その他適当な事業を行う
第5条 本寄宿舎舎友(かって本寄宿舎舎生たりし者)及び舎生をもって正会員とする
2.舎友会総会
第 1回 1942年(昭和17年) 於樂友会館 発会式を兼ねる
以降毎年、樂友会館、寄宿舎食堂、南寮の庭などで開催された。
第 2回 1943年(昭和18年) 舎友17人会費2円、舎生104人会費25銭、来賓20名
第21回 1962年(昭和37年)於南寮の庭 寮生の集まりが遅く、委員は手伝いの意識が薄いと嘆く。
第22回 1963年(昭和38年)玄関前にて開催 平沢総長参加 京大史記(90周年記念誌)より
第 ?回 1967年?(昭和42年?)食堂での舎友会総会は一部の在舎生の「ナンセンス」、舎友会粉砕」
「の怒号で荒れた。 以降総会は開催されていないであろう。
西山長司(昭和32年卒・工) 文集「銀杏並木よ永遠に」より
昭和30年代では舎友数が増えて、総会案内は300〜600通発信している。 しかし総会参加者は概ね
第2回のように 舎友:10〜20人、舎生:100人前後、来賓:10人前後であった。
3.舎友会委員
北、中、南の各寮から舎友会委員が各1名選出され、毎年の舎友会総会を計画、運営をした。 その業務は名簿
作成、総会日の決定、案内状の印刷、発送、来賓や会長への根回し、会費の決定、料理の選定、ビールの安価調
達、余興の準備、会場の設営(机、幔幕の調達、レイアウトの決定、設営指揮)、料理の運搬、総会の進行、
後片付け、収支報告など膨大な仕事をこなし、失敗をしないよう心労も大変なものであった。
昭和35年に脇田巳代治(北)、高木 孝(中)、好田 穣(南)の他に西寮から篠原 剛(昭38年卒)横山和史
(39年卒)の2名が加わって以降5名体勢になった。 舎友会記録簿は昭和37年を最後に記入が途絶える。
4.舎友会粉砕の背景
舎友会は舎友の会ではなかった。 発足の発議、会費徴収、総会運営、名簿作成などのすべての舎友会運営業務には
卒寮生たる舎友は全く関与してこなかった。
年次行事である舎友会総会の実態は「舎友会委員」が企画、運営する寄宿舎の恒例行事であってその行事に、
舎友はお客様として20名前後が参加している形で推移してきた。 舎生が粉砕と言えばそれまでであった。
昭和40年のヴェトナム北爆をきっかけに反戦運動の高まり、昭和43年に結成された吉田寮、熊野寮の全寮
闘争委員会が行った総長団交や学生部封鎖などの「闘争」に明け暮れる寄宿舎環境にあっては、先輩と交流する
舎友会総会はナンセンスの極みで、当初の趣意による舎友会は終止符を打たざるを得ない時期であったろう。
5.舎友会の再生
粉砕されて後、10〜20年を経てから舎友の発起で舎友の会の再生がいくつか企てられた。 しかしいずれもが
昭和40年頃以降の舎友とは断絶を前提にしたものであって、在寮生―若い卒寮生―古い卒寮生の繋がりを再生
するものではなかった。
(1)東京舎友会(仮称) 戦時中に在寮した戦中舎友の関東在住者の集まり
1976年(昭和51年)から10余年に亘って隔年に開催を続けた。
(2)野田もとさん追悼の会
1984年(昭和59年) 同年6月19日に逝去した野田もとさん(退職は昭和36年)追悼のため舎友
の有志(昭和38年卒寮者まで)が舎友の集会を開催した。
1985年(昭和60年)「野田もと刀自追悼集」発刊を記念して舎友の会を開催した。
1987年(昭和62年) 野田もとさんの命日に追悼会を開催した。 この会で、舎友会の再開を目的に
「舎友会名簿発行委員会」(18名)を発足させた。
以降毎年命日近くの日を選んで開催し、1989年に「野田もとさんを偲ぶ会」、
2004年に「あじさい忌」と改称され、2013年まで続けた。 翌年から
京大寄宿舎舎友会の開催へ移行した。
(3)京大寄宿舎関西舎友会新年会→京大寄宿舎舎友会
1985年(昭和60年) 「在阪京大舎友会新年会」を大阪の「森平」で開催
1988年(昭和63年)3月 京都大学学生寄宿舎舎友会名簿(明治39年〜昭和38年)を発行。
1989年(昭和64年)在京阪神京大舎友会新年会を日本たばこ京都会館で開催、以降毎年開催する。
1999年(平成11年) 京大寄宿舎関西舎友会新年会と改称。
2013年(平成25年) 新年会での動議で「京大寄宿舎舎友会」と改称。
2014年(平成25年)から新年会とあじさい忌を恒例行事として開催し今日に至っている。
幹事の一人 鶴井陽生(36年卒)
(4)北親会
1956年(昭和31年)発足 北寮31年卒寮者を中心に前後3年、中、南寮の親交者から成る同窓会で
2016年に60周年、第61回を開催した。 幹事 西台 惇(32年卒)
(5)在京舎友会→京都大学寄宿舎舎友会(東京)
1988年(昭和63年)第1回 在京舎友会を開催 以降毎年の定例会を続けている。
平成6年11月28日 京都大学寄宿舎在京舎友会名簿(昭和28年〜昭和36年)を発行。
いつからか「京都大学寄宿舎舎友会(東京)」と呼んでいる。 幹事 池田裕夫(37年卒)
(6)京都大学吉田寮同窓会
1985年(昭和60年)京都大学吉田寮同窓会を毎年1回東京で開催する。 2016年に卒寮50周年の
記念文集「紫匂う」を発行した。 これには昭和37年〜43年の吉田寮卒寮者名簿(560人余)
が掲載されているが、住所、電話番号もなく上記の同窓会会員名簿とは別物と思う。
幹事 野口雄一(42年卒)、芳村武彦(41年卒)
6.京都大学寄宿舎発行の舎友会名簿
(1) 昭和17年12月現在 (2) 昭和30年2月現在 (3) 昭和35年3月20日現在
(4) 昭和40年4月30日現在
(5) 昭和44年6月30日現在 舎友会名簿 表紙には舎友会名簿 京都大学舎友会と書かれている。
京大文書館保存の資料である。 A-5の横長版で表紙は玄関の写真である。 奥付が無いので
発行されたかどうか不明である。
以上
上記は平成29年のあじさい忌(2017,6.17) で 西台 惇 様から報告された資料の全文である。
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