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真田関係縁の史跡はかなり見てきたつもりだが、いまだに「上田城」を見ていない。
上田に「上田城」を見に行こうということになった。 それなら、川中島も…ということになる。
Maxは「以前行ったことがあるが、何にもないところだぞ」という。
「資料館があるそうだけど…」 「そういわれれば小さい建物があったような…」。まぁ、戦いの場所を見るだけでも…ということになった。
老人クラブのボランティアによる案内もある。ハンドマイクを持って、面白おかしく解説している。観光バスの群れにまぎれて説明をちゃっかりと聞いてきた。それによると「博物館はぜひ見てください。以前は300円、大河が始まってからは500円」だそうだ。観光客を笑わせながら話に引き込み、老人クラブ経営の土産物店の宣伝までする話芸には感心した。博物館には、「川中島合戦図(国宝)」「上杉家文書(国宝)」などが米沢市上杉博物館から出張中であった。
峠の釜飯の荻野屋でお昼を食べて上田へ向かう。上田城公園として整備されている。上田城跡にただ一つ残された櫓に上田藩に関する資料を中心に展示されている。昭和28年に2基の櫓を復元し、「上田市博物館」として公開されている。写真を撮りたいMaxと分かれて城の中へ。点在している3基の櫓を見る。
上田城歴代の年表などが掲げられている。また、真田神社という小さいが趣のある神社もあった。今年の秋は紅葉を見ないで終わりそう…と思っていたのだが、ここへ来て、素敵な紅葉に出会えた。あっという間に時間がたってしまう。今夜は小諸泊まり。心を残しつつ小諸に向かう。
余談だが、Maxは娘も一緒なので、ブランドなどは買えないまでも興味はあろうかと思ってか、かの有名なる軽井沢のアウトレットに案内してくれた。真っ暗な道を走っていると突如、不夜城のごとききらめきの家並みが現れた。折角だから寄ってみる。Okanと娘は分相応ということに徹している。10万が半値になろうとそれは安いとはいえないというきわめて庶民の感覚なのだ。折りしも、夕方から今秋一番の寒波がきて、寒い。寒い上に、こんな所によるならもっと上田城を見たかったと、申し訳ないとは思いつつちょっぴりふくれっ面のお一人様。あっちを立てればこちらがたたず、可愛そうにokanは一人気をもむのでありました!!
懐古園を見学するのに、時間があまり取れない。そこで、早起きすれば、「時間は取れるよ〜」と言ってみた。なんと、6時すぎに夜型人間が起きてきた。昨夜の残りで肌寒い中、懐古園に向かう。早朝なのに、散歩する人、走っている人など結構いたのには驚いた。
懐古園は若い頃一度訪れている。其のときは、千曲川の見える岸辺で「草笛」を吹いて聞かせてくださった方がいらした。きれいな、澄んだ音色が千曲川の上を渡っていくのが、今でも耳に残っている。「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ、緑なすはこべは萌えず…」いまだに口をついて出てくる。ちょっとしたセンチメンタルジャーニィー!?紅葉の残りがはらはらと早朝の光の中で舞い、足元には踏みしだくには惜しいほどの落ち葉が…。小諸城址は、美しかった。千曲川の流れは、私が以前訪れたときとは変わっているそうである。懐古園の敷地も多少狭くなったのか、川からはかなり距離が出来ている。上から見ると、川のほとりにダムが出来ていた。
小諸から甲府に抜けるのに、小海線の脇を走る。若い頃のことが出て来すぎるが、ここも私にとっては、忘れられない場所なのである。若い頃、清泉寮に宿泊申し込みをした。其の頃は往復はがきである。届いた返事は「NO」であった。小海線の一人旅は潰えたのである。小淵沢には何度も来ているのに、ついぞ小海線に乗ることはなかったのである。それから40余年余、ようやく小海線に出会えた。車窓から見る景色に、若い日を重ね、様々の事々が思い出される。野辺山駅による。彼方に八ヶ岳を望む駅前は、人ひとりいず静かであった。
今となっては、何に憧れてかは、もはや遠い彼方に置き忘れてしまっているけれど、この場所が、来たかったところであるのは確かなことなのである。
okanの感傷に二人ともお付き合いいただいてありがとう。
長坂ICから昭和ICへ抜ける途中、富士が美しい見事な姿を見せてくれた。
山梨県側が表富士とか、静岡県側からがそうだとかいろいろあるらしいが、どっちでもえぇじゃんかぁ、どちらからみても美しくも気高いのです。
小諸から清里を抜けて武田神社に着いたのは14時。お館様に敬意を払ってから宝物殿へ。ここでもNHKの大河のおかげで、「風林火山」の旗印の本物を見ることが出来た。紅の色はもはや褐色に近く、傷みも激しい。威勢を誇った旗印が、移ろい、行過ぎた時の重さの中で横たわっている。宝物殿の中で、そこだけが静まり返っているように感じられた。外に出ると、秋の陽がまぶしく、椎の実が激しい音を立てて屋根を打っていた。
ホテルに車を預けて、鶴舞城址公園に向かう。僅かに小さな隅の櫓が復元されているだけである。往時を偲ぶ
のは、残されている立派な石垣だけである。広い城跡に大きな石組み。圧倒されんばかりの迫力である。其の上に立つと、周りを中央アルプスに囲まれている甲府の市街が目に飛び込んでくる。秋の夕日を受けて、山々が、照り輝いている。「甲斐の山々日に映えて〜」という武田節の一節を思わず口ずさんでしまった。
甲府から1時間半、諏訪大社に着く。諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮があり其の4社を称して諏訪大社と言うそうである。賑わいの本宮前を通過して、まずは前宮へ。人はまったくいない。静寂そのものである。鳥居をくぐってから15分くらい歩くと前宮奥の院に着く。途中道路が横切っており民家が建っている。入り口と奥の院が分断されているのだ。ちょっと不思議だったので聞いてみると、どうもお宮さんが経済的に不遇になり一部を処分したと言うことらしい。どちら様もそれなりにいろいろおありなようですな。日本人の魂がここには息づいているようでとてもいいところであった。
さて、本宮である。正面ではなく東の入り口から入った。第一御柱が聳え立つ。柱替えの勇壮な神事をTVなどで目にしていたが、実際に御柱の前に立つと、其の大きさに驚く。
回廊を巡って本宮神殿前へ。先程の前宮とはうって変わって、大賑わいである。観光バスも次から次と言う按配。武勇の神様、武門の守護神として信仰され、足利尊氏、武田信玄、家康などの社領の寄進、神宝の奉納などがかなりあったと言う。宝物殿にはそれらが収められているらしい。OkanとMaxはパスしたので見ていない。
昼ごはんの後、諏訪湖に浮かぶ浮城として名高い高島城へ。明治時代に一度撤去されたが、昭和45年に再建され、公開されている。本丸に3層の天守閣をもち二の丸は高島城公園として整備されている。江戸時代に諏訪湖の干拓により湖畔からは遠くなり、浮城としての面影はなくなってしまったという。折角寄ったのだけれども、年に一度の大掃除の日にあたり、天守閣は見られなかった。お濠の周りをぐるりと散策。濠にたたえられた豊かな水に、天守閣が映ってゆれる。残り紅葉が淡く色を添えて、息を呑む美しさであった。
いよいよ今回の旅も大詰め。春と秋に神様がお引越しをされると言う春宮と秋宮へ。春耕にさきがけて神霊が秋宮より春宮にこられ、また、秋には再び秋宮へ御遷りになる。只今は秋なので、春宮は誰もいない。社務所に「七五三のお参りは受け付けます。ご祈祷は秋宮です」と張り紙がしてあった。たまたま留守であったのであろうが、声をかけても神官は出てこなかった。寂しいけど風情はあった。2007年11月