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本丸に向って上っていくと見えてきたのは本丸石垣で、一番上の右側が天守、左側が副天守である。
「 天守郭は東側に二段、北側に一段控え積み郭を持ち、五重の天守閣台、四重櫓台を配し、 天守、四重櫓、鉄門櫓、多聞櫓、番所、冠木門を持ち、土塀を巡らしていたという。 」
本丸石垣の下段の左側に番所跡の表示があるが、ここが番所郭跡である。
天守郭の東下段にある番所郭には番所、蔵が配置されていたとある。
左右に高石垣を見ながら上ると「鉄門跡」の標木があり、
「 御天守の入口を固める鉄張りの堅固な門が造られた。 間口十二・七十二米、奥行四・五米の二階建て 」 とあった。
中村一忠が建てた天守閣は独立式望楼型四重五階の天守で、
左側に吉川広家が建てた四重櫓の小天守が連なっていたという。
「 江戸時代に発布された一国一城令の下、 例外として存続を許された支城のなかで、 天守をそなえた城は全国でも稀で、その偉容を誇っていたが、 今は広い平地になっていて、 一部に礎石があり、城があったことを示している。 」
山頂からは西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、中国山地が一望できた。
北側には二つの石垣の先に虎口があり、御水手門跡の標木が建っていた。
「
水手郭には多聞櫓、続二重櫓、水手門があり、門外にも二つの外郭があったようである。
また、遠見郭は天守郭の北下段にあり、遠見櫓、二重櫓を配していた。 」
米子城は石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめていることや
米子城に関する文献・絵図資料なども数多く残っていることから、
平成十八年に国史跡に指定された。
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| 天守台跡 |
米子城へはJR山陰本線米子駅から徒歩20分
米子城のスタンプは山陰博物館(9時30分〜18時、入館は17時30分まで 火休 12/29-1/3休) にて
鳥取砂丘
平成二十九年(2017)十月二十日、鳥取砂丘を訪れた。
鳥取砂丘は鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、
山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されていて、南北二・四キロ、 東西十六キロにも及ぶ広大な砂丘である。
昭和三十年(1955)に国の天然記念物に、平成十九年(2007)に日本の地質百選に選定された。
小生はこれまでに二回訪れているが、、同行した娘が関心を示したので、
津山から鳥取駅に到着するとそのまま鳥取砂丘へ直行した。
数十年振りに訪れると砂防センターやサンドアート美術館、ロープウエイがあり、
多くの外国人が訪れていたので、驚いた。
さらさらした砂が革靴を履いた人には歩きずらく、登り坂で苦労した思い出があるので、
小生は柵の近くの団体写真用の椅子に座り、娘の戻ってくるのを待つことにした。
目の前に広がる砂丘の風と砂が織りなす風紋や砂柱、砂簾などは美しく、見る人の心を魅了する。
しばらくして「楽しかったよ!!」と娘が戻ってきた。
すり鉢の方に下り、その先に広がる山のようなすり鉢を登ると、その先に白砂な海岸と海が見えて、きれいだったとのこと。
彼女が登ったすり鉢の高さは分らないが高いものは四十メートルあるという。
すり鉢の斜面には、流れるように砂が崩れ落ちた形が簾を連想させる砂簾(されん)などの模様や
海風によって作られる風紋(ふうもん)と呼ばれる筋状の模様が見られる。
それらを堪能したようで、案内してきてよかったと思った。
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鳥取砂丘へは鳥取駅バスターミナルから「岩美・岩井線」や「砂丘線」あるいは ループ麒麟獅子バスに乗り、「砂丘センター展望台」または「砂丘東口」で下車