東京に行く用事があったので、東京まで行くならついでにちょっと足を伸ばして仙台は青葉城址を見に行こうということになった。
Maxは後から東京に来るというので、Okanと「あっ晴れ」のいい加減大好きコンビである。
天気は残念ながら雨、しかもすこぶるつきの雨の予報。捨ててこられるようにコンビニ御用達のビニール傘を持つ。
仙台に着いてみると予報とは違い暑いくらいの晴れ。ちょうど桜の満開時期でもあった。
松島は桜満開。今日が一番いい…とは土地の人の話。東北に来て桜を見られるとは思ってもいなっかったので、
このサプライズはうれしい。松島駅から瑞巌寺へ向かう途中にある天麟院へ寄る。政宗候の娘、五郎八姫の菩提寺である。
五郎八姫は、家康の六男松平忠輝と結婚、忠輝が流された後仙台に戻っている。
枝垂れ桜が満開で、姫君の菩提寺に優しい風情を添えていた。
さて、瑞巌寺である。正面の参道は長く、さすが仙台藩のお膝元の大寺院という趣である。
重文も中門、御成門、本堂、庫裏と多く、見るべき所はかなりある。本堂前に、臥龍梅という紅白の梅の木がある。
桜も満開なら、其の梅も今日が一番の見ごろという按配。門の両側にあふれんばかりに咲き誇っていた。本堂の中をめぐる。
芭蕉に「金壁荘厳光を輝かし…」と謳われた障壁画は、360年の歳月を経て劣化が著しくなり、
昭和60年から10年の歳月をかけて保存修理が行われ平成7年に完成したばかりであるとか。
警備をしている方が言うには、来年からまた修理に入るから本堂に入れるのは今年までであるとか。
修理の完成したときには、私はもう住所変更しているかもしれない…いいときにくる事ができたなぁ。
瑞巌寺をでるとそこは土産物屋が立ち並んでいた。「ずんだ」「ずんだ」「牛タン」「牛タン」ばかりである。
其の一軒でしばし休憩の後、政宗候建立の五大堂に向かう。
瑞巌寺守護のために五大明王がまつられており、小さな島全体が聖域である。
江戸時代中頃に、透かし橋の記録があるから、早くからこういう構造であったということが解かっているとか。
五大堂参詣には、身も心も穢れがないように、脚下をよく照顧し、気を引き締めるようにとの配慮からこういう構造になったとか。
観光バス一団のガイドの説明である。
昨日とはうって変わって雨。台風の影響らしいがかなりの降りである。
まぁ。雨の仙台も風情があるかぁと負け惜しみを言ってみる。
駅から数えて4番目、「瑞鳳殿前」で下車。「正宗山瑞鳳寺」といい、伊達家の菩提寺である。
参道の長い石段を登っていくと涅槃門に出る。ここは、昭和6年に国宝に指定されたものの、
昭和20年の戦災で焼失、54年に再建されたものである。桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築で、平成13年に改修され、
創建当時の姿に蘇ったとか。空襲で焼失した藩主3代の霊屋を再建する際に行われた発掘調査により、
完全な遺骨や副葬品などを発見。藩主の容貌、身長、血液型などまでが現在わかっているという。
どの廟も極彩色に彩られ、実に美しい。資料館では、感仙殿(第2代藩主忠宗霊屋)、
善応殿(第3代藩主綱宗霊屋)の副葬品が展示されている。政宗候の遺品は仙台市博物館にあるという。
お上にめしあげられたのかしら…なぁーんて。
またまたループバスに乗り、博物館まで。バーチャル映像を駆使して、実に解かりやすく見せてくれる。
また、政宗候の遺品も展示されており、ボランティアの説明もある。きれいなレストランも併設されている。
遅めのお昼をここでとる。
折りよく来たタクシーに仙台城址資料館まで乗る。
資料館が一番奥にあるので、そこから順次下りてきたほうが効率がいいと運転手さんが言う。
教えられたとおりにして正解であった。資料館は政宗候の生涯や仙台藩関連の資料を展示。
支倉常長一行の渡欧の話も映像と併せてわかりやすくまとめられていた。
雨は降っていたが折角来たことだし城址の中を歩く。本丸跡に、長い歴史が刻まれた石垣と、
戦後復興された脇櫓が建っている、天守台には政宗候の騎馬像が建っていた。
晴れていたら共に城下を瞠ることが出来たのに…。2008年4月